農業機械化の現状と展望 6

農業機械の所有の形態は、各機種ともほとんどが個人所有です。


共有は大型トラクター、自脱型コンバイン、動力田植機において10%前後見られる程度です。


最近、組織的利用も増えてはいますが全体的にみれば、個人所有、自家利用の利用形態が大部分を占めています。


そのため、機械の年間利用時間と利用面積は、乗用型トラクターで67.5時間、2.1ha、田植機で17・2時間、0・9h。


自脱型コンバインで29.3時間、1.4haとなっています。


このように、機械の能力等からみて十分活用されているとはいえない状況にあるのです。


農家1戸当りの農機具購入費は、40年の3万7千円から、55年には17万円へと増大しています。


しかし、52年以降はほぼ横ばいで推移しています。


農機具購入費の農業所得に対する割合は、40年の10%から、55年には18%へと増大していますが、農家総所得に対する割合は、4%前後で推移し最近は低下傾向にあります。


このように、農家の農機への投資態度がうかがえます。

農業機械化の現状と展望 5

このような機械化の進展とともに、日本農業機械産業も急速に成長をみせてきました。


農業機械総生産額は、昭和40年では900億円の規模に過ぎませんでした。


しかし、50年には約5、000億円、56年は約5、300億円へと拡大し、最近では乗用トラクターを中心として輸出も拡大。


50年の約300億円から、55年には1、400億円へと増大しているのです。


農機製造業界としては、国内需要の停滞にみられる最近の市揚のなかで、技術の開発と輸出の増大に一層の努力を続けています。


農業機械の普及は、水稲作を中心に著しいことは以前述べたとおりです。


稲作における機械化一貫作業体系が完成したことにより、水稲10a当り農業労働時間は、40年の141時間から、55年には64時間へと最近15年間で112以下に減少しました。


その反面、農機具投資の増大によって、米生産費に占める農機具費の割合はこの間20%から28%へと増大しています。

農業機械化の現状と展望 4

昭和50年代の機械化の特徴は、稲作機械化体系の滲透と、トラクター農業時代への突入です。


昭和56年において、田植機は189万台、自脱型コンバインは92万台、バインダーは168万台の普及に達しました。


56年にすでに機械田植面積割合は92%、機械収穫面積率は96%となっています。


また、乗用型トラクターは、50年には65万台の普及でしたが、約5年後の56年には141万台となり、トラクターは急速に乗用へ移行してきました。


このような普及の進展とあわせて、これら機械はまた急速に質的発展をみせています。


すなわち、乗用トラクターの高馬力化、田植機の多条化、乗用化、自脱型コンバインの装備の自動化など技術の発展とともに全体的な高性能化が進展しつつあるのです。


なお、北海道以外ではおくれていた稲作以外の畑作、畜産、園芸等の部門でも、各種の機械・施設が開発改良されてきました。


近年、これらの部門で独特の機械化が前進しつつあることもこの年代の特徴です。

農業機械化の現状と展望 3

昭和40年頃に開発された通風乾燥機は、昭和40年頃にはすでに73万台の普及をみせました。


なお、昭和36年の農業基本法の制定を契機として、農業構造改善事業などにより乗用型トラクターをはじめとする大型機械・施設の地域的な導入が始まります。


このことに刺激され、この期の後半において、大型機械利用の気運が高まったことも1つの特徴でしょう。


そして、昭和40年代の機械化の特徴。


この期の動向としてまず特筆すべきことは、永年の懸案であった稲作における田植・収穫の機械化が実現したことです。


すなわち、昭和40年を過ぎて、バインダー・自脱型コンバイン、田植機の開発実用化が次々に実現し、昭和45年頃から全国的に本格的な普及が始まりました。


これによって、日本稲作の機械化一貫作業体系が確立したのです。


なお、これと併行して、この期において国産の乗用型トラクターが急速に進歩し、それまでの歩行型トラクターから乗用型への転換が、この期の後半に急速化しました。

農業機械化の現状と展望 2

戦後10年間の機械化の動きは、戦前以来の原動機と動力脱穀機、動力籾摺機、精米機等脱穀調製加工機の普及の一層の進展でした。


たとえば、昭和20年には35万台の普及にすぎなかった動力脱穀機は、昭和30年には200万台に達しています。


なお、この年代の申頃に動力耕うん機が開発され、耕うんの機械化の崩芽をみせました。


次に、昭和30年代の機械化の特徴について。


ワイキューブ研究所によると、この期の機械化の動向は、動力耕うん機(歩行型トラクター)を中心とする小型機械の開発改良とその普及が急速に進みました。


稲作において、田植と収穫を除く小型機械化作業体系が確立したことです。


すなわち、歩行型トラクターは、昭和30年に入って実用化し、普及が本格化しました。


昭和40年にはすでに250万台に達し、畜力は完全に歩行型トラクターに置きかえられました。


また、この時期に、人力用に代る動力噴霧機、動力散粉機の普及が進展し、脱穀作業はこれまでの手こぎ型から一層性能の高い自動脱穀機へ転換していったのです。


農業機械化の現状と展望

日本の農業機械化は、今日、特に稲作のすべての作業において著しい進展をみています。


しかし、その発展は、それまでの畜力に代って動力耕うん機がようやく実用に達した昭和30年頃が1つの発起点となり、以来20余年の短期間に達成されたものです。


また、その発展過程には2つの大きな特色を持っていました。


その1つは、稲作の機械化を中心に発展したことです。


あとの1つは、日本農業の構造的特質に合致した特有の形で発展してきたことです。


今日においても、その基調に大きな変化はありません。


しかし、スペースコレクションリサーチによると、その後の農業政策、農村社会の変化、土地基盤の整備、農業者の意識の変化など、農業の強いニーズに対応しつつ、稲作はもとより、他の作目においても、独自な展開をみせてきました。


この発展を年代に分けて、その特徴を述べていきます。

ヴォルフ=フェラーリ オペラ《聖母の宝石》間奏曲第一番、第二番 2

とくに有名なのは「第一番」は第一幕と二幕の間、「第二番」は第二幕と第三幕の間に奏されるもので、
現在、オペラはほとんど上演されないが、この二つの間奏曲は単独でもしばしば演奏され、ポピュラーなクラシックの名曲として親しまれている。

とくに、「第一番」のフルートによる清澄な感じの序奏、弦楽器による甘く感傷的な旋律は、胸の奥底にジーンとしみとおるようなメロディで、一度聴いたら一生忘れられなくなるほど美しいものだ。

こういう名旋律は、"歌の国"イタリアの作曲家でなければ、絶対に書くことができないものである。

ヴォルフ=フェラーリ オペラ《聖母の宝石》間奏曲第一番、第二番

エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリは、マスカー二と同時代、十九世紀の末から今世紀のはじめにかけて活躍した、イタリアのオペラの作曲家である。

その彼は、一八七六年の一月一二日にヴェネツィアで生まれている。

彼の代表作のオペラ《聖母の宝石》は一九一一年に作曲された作品で、このオペラは、"世界三大美港"のひとつ、イタリアのナポリを舞台に、そこに住む下層階級で起こった罪を扱った陰惨な悲劇となっている。

このオペラには、二つの有名な間奏曲が挿入されているが、とくに有名なのは「第一番」である。

プロコフィエフ バレエ音楽《ロメオとジュリエット》作品六四 2

彼は、「やさしく書くことよりも、複雑に書くことのほうがずっと簡単だ。現代音楽は複雑になりすぎているから、わかりやすく書かねばならない。すべての人が、この曲からなにも見出さなかったとしたら、わたしは非常に残念に思うけれど、やがて、それを見出すようになってくれるだろう」と述べているように、このバレエ音楽は、わかりやすく魅力的な曲となっている。

また、プロコフィエフ自身も、この曲が気に入ったらしく、バレエ全幕上演以前に、二つの組曲として発表している。

プロコフィエフ バレエ音楽《ロメオとジュリエット》作品六四

シェイクスピアの戯曲『ロメオとジュリエット』を題材とした音楽は、チャイコフスキをはじめとして、多くの作曲家たちによって書かれている。

プロコフィエフのバレエ音《ロメオとジュリエット》は、原作の物語をほとんど変えずに用いた作品で、一九四〇年の一月一一日、レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)で初演され、この初演は、「ソヴィエト文化史上記念碑的な事件」といわれるほどの成功を収めた。

ところで、プロコフィエフは、ソヴィエトへ復帰するまでは、かなり前衛的な難解な音楽を書いていたが、復帰を境とし、平明で明快、大衆的でしかも高度な芸術性を失わない音楽を書くようになった。