マーシャル・プランとは 2

日本の戦後の経覆興の最大の推進力となったのは、昭和25年に始まった朝簸争であるといわれています。


この撃による軍用品などの特需によってもたらされた外貨は総額16億ドルにのぼり、停滞を続けていた工業生産はここで一気に戦前の水準を突破するのです。


この16億ドルという数字は、西ドイツがマーシャル・プランによって得たドルの額と奇しくも一致しています。


それは、西ドイツと日本の戦後復興が、アメリカとソ連の対立という戦後の国際政治情勢のただ中で始まったという事実をあらためて思い知らせてくれるものです。


もっともこれから検証しようとするのは、そのようなことではありません。


第二次世界大戦の敗戦国日本と西ドイツの戦後復興が、ともにアメリカの援助をきっかけとして進められ、それがアメリカの世界戦略に基づくものだった、という視点だけでは、


「なぜ日本だけがたたかれるのか」


・・・という現実の問いに対する答えが出てこないからです。


"敗戦"から"奇跡の復興"という共通の体験を持つ日本と西ドイツですが、それにもかかわらず、両票復興へ向けて歩んだ道には、実は、最初から隔たりがあったのではないか・・・


そこにはすでに「日本だけが孤立する」原因の萌芽が見られるのではないでしょうか。


戦後10年間の復興期の両国の歴史を比較・検証するに当たり、私たちはまず、昭和20年1945年の敗戦の時点に立ち戻ることから始めなければなりません。


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